« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005年10月の記事

2005.10.31

〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、題名になっている火盗改メ・堀帯刀組から消えた元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)に、女賊お杉を奪われ、8年間にわたって高杉を狙っていたのが〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵である。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
8年前の天明7年(1787)、非道な盗賊〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味を内偵していた高松同心は、〔蛇骨〕配下の女賊お杉(30歳)と接触ができ、30両の支度金でお杉を逃がすことを条件に、一味の盗人宿を聞き出すことにしたのだが、堀組は金を用立てることを拒んだ。
(参照: 〔蛇骨〕の半九郎の項)
高松は、佐嶋与力あての置手紙を残して役宅を出奔するときに、お杉をともなった。

210

年齢・容姿:標題の事件が起きた寛政6年(1794)には37,8歳。「通り名(呼び名)」の「笹熊」は「アナクマ」の別称とあるから、あの小獣に似た容貌だったのであろうか。
生国:遠江(とおとうみ)国のどこか(現・静岡県西部のどこか)。
記述はないが、〔蛇骨〕一味を抜けたあと、〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛の口ききで、〔野槌(のづち)〕の弥平のところへ身を寄せたとある。〔血頭〕は駿河の島田、〔野槌〕も三河国の出身である。地縁を考えると三河か遠江であろう。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
繁蔵が江戸での巣にしていた,、品川宿はずれの小さな蝋燭屋の亭主の叔父・六兵衛も、もとは、尾張から美濃へかけて一人ばたらきをしていた盗人だったというではないか。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介は市中見廻りの途中、赤坂・一ッ木の菓子舗〔鈴木屋〕で叔父・谷全右衛門の好物の〔一輪牡丹〕を持参し、愛宕下の旗本横田大学の屋敷内の長屋を訪ねた。
1150
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)
上・左の〔成田屋〕に「一口一輪牡丹」 下・中に赤坂一ッ木の〔鈴木若狭掾〕

068
愛宕下(部分)。画面の手前に横田大学の屋敷があることに---。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

そのあと、愛宕権現に詣でた参道で町人姿の高松繁太郎とであった。近くの料理屋〔弁多津〕で酒を酌みかわして別れたところ、高松は襲ってきた相手を刺殺した逃走。
殺されたのが、〔笹熊〕の繁蔵と名ざしたのは、かつて〔野槌〕一味にいっしょにいた〔小房〕の粂八だった。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:〔笹熊〕の繁蔵自身の件は、高松元同心に刺殺されたところで終わる。が、物語のほうは、蝋燭屋・六兵衛が仕掛人をやとって密偵となっていた高松を惨殺するところまでつづく。

つぶやき:高松繁太郎が愛想づかしをして組をでた、堀帯刀重隆が火盗改メを勤めたのは、冬場の助役(すけやく)が天明元年(1781)から同2年春まで。本役が天明5年(785)1月25日から同8年(1788)9月28日まで。
高橋繁太郎の事件は、天明7年と推定できる。池波さんによると、堀帯刀がこの職に飽き々々していた時期であったらしい。


| | コメント (0)

2005.10.30

座頭(ざとう)・徳の市

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、当シリーズの長篇第3作目 [迷路]である。盗賊方の重鎮は〔猫間(ねこま)〕の重兵衛で、サブが別の一味の首領〔法妙寺〕の九十郎。
(参考: 〔猫間〕の重兵衛の項)
(参考: 〔法妙寺〕の九十郎の項)
密偵では、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵と〔玉村(たまむら)〕の弥吉のかつやくがいちじるしい。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)
その〔玉村〕の弥吉が、〔法妙寺〕の九十郎からえお盗めを助(す)けるように頼まれた。盗め先は、鉄砲洲の薬種屋〔笹田屋〕といわれて、明石橋の向こうをそれとなく見張っていると、座頭の徳の市が〔笹田屋〕から出てくるのを見かけた。徳の市は、按摩をしながら引きこみと〔甞役(なめやく)〕を兼ねていたのである。
徳の市は盲人をよそおって、南小田原町の中2階のある家へ女房と住んでいる。
054
明石橋(別名・寒橋)徳の市の家は西本願寺の手前
(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

222

年齢・容姿:50前後。盲人をよそおっている。
生国:〔赤堀(あかぼり)〕の嘉兵衛との地縁から、伊勢国のどこかと推察。
(参照: 〔赤堀〕の嘉兵衛の項)

探索の発端:先に記したように、鉄砲洲の薬種屋〔笹田屋〕からと徳の市が出てくるところを屋吉が見かけた。
徳の市とは、〔赤堀〕の嘉兵衛の一味にいたときに、彼が目明きで、按摩に入った家の間取りから金蔵の場所や錠前の形まで読みとることを知っていた。
一方、〔小房〕の粂八が、尾行(つ)けていた女賊お松(27,8)が、徳の市の家へ入るのをつきとめた。

結末:〔猫間〕、〔法妙寺〕一味とも、全員捕縛。徳の市も同然。死罪であろう。

つぶやき:ストーリーの展開は、例によってあざやかなものである。同心・細川峯太郎の博打と浮気から幕があき、終わりは鬼平と〔猫間〕の十兵衛との対決となる。その間に、かつて逮捕した〔池尻〕の辰五郎がからむといったにぎやかさ。
こういう作家を、〔ページターナー〕---息もつかせずにページをめくらせる作品と呼ぶ。

| | コメント (0)

2005.10.29

〔石川(いしかわ)〕の五兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[瓶割り小僧]の主役が、取り調べる与力・小林金弥(30歳をこえたばかり)を愚弄するために石川五右衛門をもじって名乗った名前が、〔石川(いしかわ)〕の五兵衛である。
幼名は、音松。が、物語は仮名の五兵衛ですすめられる。
家督した長谷川平蔵が書院番士にあがる前年---安永2年(1773)、平蔵28歳のときのこと。
神谷町の刀研師の店へ立ち寄ったとき、向いの陶器屋の店主(40がらみ)と7つか8つの子どもが口論していた。
子どもが店先の大きな水瓶を2個購うといい、行きがかりで、1人で持ち帰るなら1個3文にしてやると店主。
子どもは、大石で瓶をこなごなに壊し、そのかけらを手に、「いちどに持ち帰るとはいわなかったからね」
その小ざかしさに、店主の義弟が鼠坂で斬り捨てようとしたのを平蔵が助け、「大人は馬鹿ばかりではない」とたしなめた上、音松の腹の皮1枚のところで帯と着物を切ったことがあった。
音松は、母が迎えた継父とうまくゆかず、16のときに継父を殺害して盗みの世界へ入っていたのである。

221

年齢・容姿:27,8歳。色白の美男だが、左半面は火傷の跡。
生国:武蔵(むさし)国江戸・麻布あたり(現・東京都港区麻布十番2丁目)。
母親が坂下町(麻布十番2丁目)で茶店をやっているので。

探索の発端:足の傷も癒えた〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎が、二ッ目の通りをやってくる五兵衛を見かけた。さっそくに彦十爺つぁんが尾行(つ)けて、浅草・山谷堀の船宿〔伊勢新〕に宿泊していることを突きとめた。
(参照: 〔高萩〕の捨五郎の項)
五兵衛は、上方で畜生ばたらきをしていたが、二、三年ごとに戻ってくる江戸では盗めはしていなかった。

結末:20年前のことを持ち出した鬼平の前に、音松は一気に虚勢をくずして白状におよんだ。死罪であろう。

つぶやき:池波さんは、『鬼平犯科帳』164篇(長篇は1章を1篇として計算)中、この[瓶割り小僧]をベスト5に自薦している。
ということは、瓶を割って持ち帰るというアイデアは、池波さんのものなのであろうか。
支那ものか彦一頓知ばなしにでもありそうにおもえるのだが、はっきりとは知らない。

| | コメント (0)

2005.10.28

〔小川(おがわ)や〕梅吉

『鬼平犯科帳』文庫巻1の第1話に〔野槌(のづち)〕の弥平の配下として〔小房〕の粂八とともに柳島の妙見堂に登場し、待ち伏せていた火盗改メに粂八は捕縛されるが、梅吉は柳島橋のらんかんを伝って堀左京亮の下屋敷へ消えた。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
梅吉は、昌平橋の北詰の加賀っ原はずれの茶漬け屋を表看板としていたが、〔野槌〕一味が一斉に検挙されたときも他出していた逃げおうせた。
022
筋違八ッ小路の右下にかすかに昌平橋。その北が加賀っ原
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

第2話[本所・桜屋敷]では、鉄三郎(鬼平の家督前の名前)や岸井左馬之助のマドンナで出戻って御家人の後妻になっていたふさと情を通じて、日本橋本町の呉服問屋〔近江屋〕へ押し入る寸前に捕縛された。
(参照: マドンナ・ふさの項

201

年齢・容姿:30男。短躯。能面のように無表情な顔。
生国:武蔵(むさし)国江戸・深川
父親は、深川・亀久橋たもとの船宿〔みのや〕の船頭だった。

探索の発端:[唖の十蔵]で逮捕に参加した同心たちの記憶をもとにつくられた梅吉の人相書で、密偵〔豆岩(まめいわ)〕が、本所・南割下水で〔小川や〕とばったり。それであたりに警戒網が敷かれた。
(参照: 〔豆岩〕の岩五郎の項)

結末:捕縛後、磔刑。p84 新装版p89

つぶやき:池波さんの勘違いとおもうが、文庫巻3[むかしの男]p288 新装版p302は、こうなっている。

「霧(なご)の七郎は、あの〔唖の十蔵〕の事件で平蔵に捕えられ処刑された〔小川や梅吉〕の実弟だったのである」

(参照: 〔霧〕の七郎の項)
捕らえられたのは、[本所・桜屋敷]である。

| | コメント (2)

2005.10.27

鰻(うなぎ)の辻売り・忠八

『鬼平犯科帳』文庫巻15の[雲竜剣]は、シリーズでは最初の長篇なので、ゆったりと謎が解かれる。小名木(おなぎ)川が大川へそそぎこむその河口に架かる万年橋の南で鰻(うなぎ)の辻売り屋台を出している忠八の名あげたのは、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の女主人・お熊である。
580
茶店〔笹や〕は、弥勒寺楼門前の板庇の家。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

215

年齢・容姿:32,3歳。容姿の記述はない。
生国:書かれてはいないが、鰻に縁があって、剣客医師・堀本道伯と直接に知り合ったとすると、下野(しもつけ)国都賀郡(とがこうり)牛久(うしく)村(現・茨城県牛久市牛久)あたりと推察。
(参照: 剣客医師・堀本伯道の項)

探索の発端:同心・金子清五郎が殺害される前日、忠八と肩をならべて〔笹おや〕の前を通りずぎたと、お熊が証言したのである。事件とかかわりがある人物が初めて浮きあがった。
しかし、万年橋きげわに彼の姿はなかったのである。
別の線から、忠八が本所の獺(かわうそ)長屋に住み、夜分、深川・佐賀町の足袋問屋〔尾張屋〕へ鰻の櫛焼きを届けたり、下男の彦兵衛と連絡(つなぎ)をつけていることも判明した。

結末:堀本伯道は息子に斬り殺されたが、忠八のことは書かれていない。

つぶやき:[雲竜剣]は、シリーズが始まってから,8年半目に連載がスタートした。池波さんも編集部も、ファンが固定したと読んだのであろう。
もっとも、読み手とすると、毎月の展開をいらいら気味で待ったにちがいない。文庫で読みきれるいまの読者は幸せである。

『鬼平犯科帳』の発生事件の年代順リストは、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/sanko/index.html
の、目次の下から3番目あたりの、年代・季節順を。

| | コメント (3)

2005.10.26

〔葵(あおい)小僧〕芳之助

『鬼平犯科帳』文庫巻2におさめられている[妖盗葵小僧]の主人公は、池ノ端仲町の骨董店〔鶴屋〕佐兵衛に化けているが、じつは尾張の役者あがりで、桐野谷(きりのや)紋十郎の一人息子である。
21歳の初夏、体よくあしらわれた茶汲女を殺害して逐電、盗みの世界へ入ったが、女性への不信感から、押し入った商家では、しばりあげた主人が見ている前で女房やむすめたちを冒しつづけるという非道をつづけて、鬼平を激怒させていた。

_360_2
(国芳『枕辺深閨梅』口絵 部分 葵小僧のイメージ)

筋違(すじかい)御門外の料亭〔高砂屋〕も襲われ、若女将・おきさ(27歳)が冒されたが、たまたま、彼女の実家の亀戸天満宮門前の料亭〔玉屋〕の畳替えに来ていた浅草田原町の畳職・市兵衛が、たくみに声色をつかう客に疑いをかけて、火盗改メへ申し出たために、大坂や名古屋の役者くずれに容疑が向けられた。
1111
『江戸買物独案内 飲食之部』(文政7年 1824刊)

202

年齢・容姿:38から39歳へかけての事件。鼻筋がなく、小鼻だけがもりあがっている。
生国:尾張(おわり)国名古屋城下(現・愛知県名古屋市)

探索の端緒: 〔玉屋〕で声色をつかってみせた客の人相書が描かれ、貸本やの亀吉(40そこそこ)とわかり、捜査の網がはられた。

結末:神田・佐久間町3丁目の傘問屋〔花沢屋〕を襲うときに逮捕。自供書をとると多数の妻女たちの被害が公けになるので、3日とおかずに死罪。

つぶやき:巻18に所載の[蛇苺]で、鬼平は、これまででもっとも憎い盗賊は、レイプをしまくった〔葵小僧・芳之助〕だったと述懐している。
レイブは、被害者の心に深い傷をのこすだけ、殺人よりも罪が重いといっていいかもしれない。 

[妖盗葵小僧]は、シリーズ第11話として、連載が始まった1968年の『オール讀物』11月号に、寛政4年(179)の初夏に解決した事件として掲載された。原稿枚数135枚。
それより4年前の1964年1月6日号の『週刊新潮』に、独立短篇[江戸怪盗伝]のタイトルで、葵小僧の事件が41枚にまとめられて発表されている。これは長谷川平蔵が池波作品に初めて顔を見せた篇でもある。
[妖盗葵小僧]は、これを3倍半にふくらませた作品である。つけ加えられてふくらんだ主だつた部分は、通4丁目の文具屋〔竜淵堂・京屋〕夫妻にまつわる記述である。亭主の目の前で女将のお千代(21歳)が妖盗の舌技にたまらず腰をうごかしてしまった、というような読者サーヴィスのきわどい描写も入れられ、池波さんがこのシリーズにかけているなみなみならぬ意気込みも感じさせる。

ふつうの雑誌用の短篇3篇分---135枚もの誌面を与えた『オール讀物』の編集部側も、1年足らずの連載中に、たしかな手ごたえを感じていたのであろう。

| | コメント (0)

2005.10.25

同門・池田又四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されている[霜夜]は、かつて高杉道場で同門で、鬼平(当時は銕三郎)の弟弟子だった池田又四郎の20数年後の事件である。
20数年前、銕三郎20歳、又四郎は17,8歳でまだ少年の面影が濃くのこっている色白の美しい若者だった。
その又四郎に、継母とうまくいってなかった鉄三郎は、養子に入って長谷川の家を継ぐようにすすめた。鉄三郎が継母を斬る決心をしていることを推察した又四郎は「それはいけませぬ」といって、亀沢町の実家からも高杉道場からも姿を消した。
20数年を経て、姿をあらわした又四郎は、女性のことで悩んでいたばかりか、盗みの世界に足をいれてもいた。

216

年齢・容姿:41,2歳。すっきりした細身の躰つき。
生国:]武蔵(むさし)国江戸・本所亀沢町(現・東京都墨田区亀沢)。

探索の発端:g)京橋・大根河岸の料理屋〔万七〕で名代の野兎鍋と酒を賞味していた鬼平は、襖ごしに聞こえた隣室の男の声が池田又四郎のものと断じた。
店を出た股又四郎を京橋川づたいに尾行(つ)けていくと、稲荷端橋で逡巡したあと、鉄砲洲のほうへ。やがて、現れた〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛と〔栗原(くりはら)〕重吉を斬った。
(参照: 〔常念寺〕の久兵衛の項)
(参照: 〔栗原〕重吉の項)

結末:役宅へ又四郎は鬼平あての手紙をとどけていた。深川の東方の砂村元八幡宮で会いたいとあった。鬼平が行くと、属していた盗賊集団〔須の浦(すのうら)〕の徳松一味のもの8名を斬ったが、又四郎自身も深傷を受けて、鬼平の腕の中で最期に洩らしたのは---。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項)

つぶやき:高杉道場での池田又四郎は、鉄三郎の色子になりたがっていたというのだ。そういう心情は、ストレート者には想像でしか理解がおよばない。しかし日本だけみても、戦国武士や僧侶のあいだに広くあった行為だし、いまでも知り合いにその種の関係をつづけている人たちがいる。深く自省すると、ストレートな男性の心の底には、そこへ傾斜しないでもない欲望がないこともない気もする。
だから池波さんは、池田又四郎を造形したのであろう。もっとも彼は、義妹とも関係するほどにストレート男性に戻っているが。

| | コメント (0)

2005.10.24

仕掛人・金子半四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収録されているシリーズ第6話(正確には第5話)[暗剣白梅香]で、鬼平の暗殺を引き受ける浪人・金子半四郎は20年来、親の敵(かたき)をさがして旅をつづけているうちに、大坂で〔白子(しらこ)〕の菊右衛門の手によって仕掛人の仕立てられてしまう。
(参照: 〔白子〕の菊右衛門の項)
江戸で、鬼平の暗殺を以来したのは根津の顔役〔三の松〕平十であった。起(おこ)りは〔蛇(くちなわ)〕の平十郎。
(参照: 〔三の松〕平十の項 )
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)

201
<
年齢・容姿:38歳(寛政2年 1790)。色白の、頬骨が張った細面。ふとやかな鼻、濃い眉。眼球が見えないほどに細い目。総髪。ひげは剃っている。女のようにやさしい声音(こわね)。
生国:伊予(いよ)国喜多郡(きたこうり)大洲(おおず)村(現・愛媛県大洲市)

探索の発端:右側は浜御殿という汐留川ぞいの道で、鬼平は刺客に襲われた。抜きあわす前に走って間をとったのが幸いして斬られずにすんだが、鋭い太刀風であった。
曲者があとにのこしたのは、なんともいえず妖しげな香り。
同じ香りをつけていた湯島横町の菓子舗〔近江や〕の女将が、池の端・仲町の〔浪花や〕の〔白梅香〕だと告げたので、同店に張りこんでいた同心・酒井祐助だったが、金子を逃がしてしまった。

結末:横川の扇橋の南、石島町の船宿〔鶴や〕で岸井左馬之助と酒を酌みかわしている鬼平を狙って入ってきた金子半四郎は、階段で、亭主の利右衛門(じつは敵の森為之介)に包丁で刺されてあっけなく返り討たれてしまう。

つぶやき:盗賊が火盗改メのお頭の仕掛けを依頼するという、池波さんの発明の仕掛人稼業をからませた篇。鬼平が襲われる最初の物語である。それだけに、舞台設定も凝っている。
こののちに、森為之介は細君の里の近江国へ身を隠すので、船宿は〔小房〕の粂八が預かり、〔五鉄〕と並んでシリーズの主要ポイントの一つとなる。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

| | コメント (0)

2005.10.23

〔大崎(おおさき)〕の弥平

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[兇賊]で、兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の父親〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛が登場するが、この勘兵衛は、20数年前、両国の盛り場を牛耳っていた香具師の元締〔大崎(おおさき)〕の弥平の右腕と称して、悪徳のかぎりをつくして、土地の嫌われ者だった。
弥平が勘兵衛のことをどう扱っていたかの記述はない。

205

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:下総(しもうさ)国猿島郡(さるしまこうり)大崎村(現・茨城県水海道(みつかいどう)市大崎)。

探索も結末もなし

つぶやき:「大崎」は水海道市の北西の岩井市にもある。迷ったが、江戸に少しでも近いこと、訪れたことがあるというまったく理にあわない個人的な心情から、水海道市をとった。
もし、岩井市の鬼平ファンの方からアピールがあったら、乗りかえることにやぶさかではない。

| | コメント (0)

2005.10.22

〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻8で[明神の次郎吉]と、タイトルにまでなっている腕っこきながら他人への親切にも骨惜しみをしない盗人・次郎吉が、お頭と仰いでいるのが〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛。
(参照: 〔明神〕の次郎吉の項)
密偵おまさは、流れづとめの現役(いまばたらき)だったころに〔櫛山〕の武兵衛を助(す)けたことがあり、彦十によると、武兵衛は「地味なお人だが、真(まこと)のお盗(つと)めをしなさるそうな」。
(参照: 女密偵おまさの項)

208

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越後(えちご)国魚沼郡(うおぬまこうり)城山(じょうやま)新田村(現・新潟県南魚沼郡大和町城山新田)。
〔櫛山〕の武兵衛一味のテリトリーは関東一円から奥羽へかけてとあるので、その範囲で探索したら、ここが見つかった。城(じょう)ノ平(ひら)の標高300メートルの山頂に櫛山城跡がある(平凡社『日本歴史地名体系 新潟県編』)。
鬼平の時代より30年ほどさかのぼった宝暦の記録によると、村は家数11戸、男29、女19であったと。女の数の少ないのが異常である。

探索の発端:〔明神の次郎吉〕が行きがかりで遺品を預かり、小梅の春慶寺に寄宿している岸井左馬之助にとどけた。感激した左馬之助が次郎吉を〔五鉄〕へ招待。
次郎吉に見覚えがあったおまさが、彦十へそのことを告げた。
彦十は翌朝、次郎吉を尾行して千駄ヶ谷八幡の裏の盗人宿をつきとめた。
297
千駄ヶ谷八幡宮(『江戸名所図会)』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:剣友・岸井左馬之助への配慮と、おまさ・彦十の顔をたて、鬼平は〔櫛山〕一味の逮捕に火盗改メを出動させなかった。心ゆるしている数名の密偵、さらに逮捕は町奉行所を出張らせた。
そのうえ、町奉行・池田筑後守へ〔櫛山〕一味の計の軽減を依頼し、死罪をまぬがらせて遠島に。とりわり、〔明神〕の次郎吉は軽い刑にと、申しおくった。

つぶやき:連載も5年目に入っている。時代を反映し、凶悪な賊の血なまぐさい事件がつづいていた。
そこへ、久びさの本格派の一味の登場である。
池波さんも、つい、筆がすべった。
10両以上盗んでいる者が、町奉行の一存で死罪をまぬがれるはずがない。
将軍吉宗・大岡越前守忠相以後、裁判一事一様---つまり、同じ犯罪には同じ判決が幕府のとりきめとなっているのだ。
もっとも、『鬼平犯科帳』は小説であって、評定所(幕府の最高裁判所)の御仕置記録ではない。池波さんの人情家ぶりがもろに出てもいっこうに差しつかえない。

| | コメント (0)

2005.10.21

〔竹尾(たけお)〕の半平

[『鬼平犯科帳』文庫巻22、特別長篇[迷路]の影の首領〔猫間(ねこま)〕の重兵衛(50代半ばか)の配下〔竹尾(たけお)〕の半平は、組んでいる〔法妙寺(ほうみょうじ)〕の九十郎(50がらみ)一味との連絡役をつとめている。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
(参照: 〔法妙寺〕の九十郎の項)
現役をよそおってお熊の茶店〔笹や〕に居候をしている密偵〔玉村(たまむら)〕の弥吉へ、九十郎の使者として連絡にきたのも、半平だった。
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)

222

年齢・容姿:50前か。ていねいな口調。するどい眼光。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこうり)竹尾村(現・新潟県新潟市竹尾)。
紀伊国伊都郡高野口町竹尾(現・和歌山県)ももっともな候補地だが、〔猫間〕の重兵衛一味ということで、関東により近い越後とした。

探索の発端:九十郎の伝言をもって弥吉のもとへあらわれた半平を尾行(つ)けた同心・松永弥四郎が、深川・黒江町の釣具屋〔竹吉〕を探りあてた。
さらに尾行をつづけ、半平が年増の女房と住んでいる京橋・柳町のしもたも発見された。そこで半平は、表の仕事としてご用聞きの書物屋をやっていた。若い頃から15年間、上野・山下の五條天神門前にある書物問屋〔和泉屋〕でやった修行を生かしたのである。
決定的な確証は、〔玉村〕の弥吉が、かつて〔赤堀(あかほり)〕の嘉兵衛一味にいたときに顔見知りだった座頭・徳の市が、鉄砲洲の薬種屋の〔笹田屋〕から出てくる姿を見かけたことによるのだが。
(参照: 〔赤堀〕の嘉兵衛の項)

結末:芝・田町7丁目の盗人宿の宿屋〔摂津屋〕の盗人宿も発見され、半平の住まいもふくめて、すべての根城が火盗改メに急襲され、ほとんどの盗賊が捕縛された。

つぶやき:〔竹尾〕の半平が、〔法妙寺〕の九十郎一味だったら、和歌山県の「竹尾」のほか、徳島県美馬郡木屋平村竹尾の出身としてもよかった。

| | コメント (0)

2005.10.20

〔津村(つむら)〕の喜平

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収められている篇の中では中篇に近い[流星]で、江戸への足がかりを意図している巨盗〔生駒(いこま)〕の仙右衛門(62歳)の意を帯して3か月前に先発し、江戸の盗賊の頭領〔鹿山(かやま)〕の市之助(年齢不詳)との連絡役をつとめている〔津村(つむら)〕の喜平である。
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)
(参照: 〔鹿山〕の市之助の項)
下向してきた刺客・沖源蔵(中年)と杉浦要次郎(30を出たばかり)に、鬼平の姿をひそかに見せ、憶えさせもした。

208

年齢・容姿:どちらの記述もない。
生国:摂津(摂津)国大坂・船場津村町(現・大阪市中央区通称・西横堀)。
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年--)の「津村」の項に、「船場の西部を津村といふ。古は円(つぶら)と呼べり、江湾の名に因る」と。
〔生駒〕の仙右衛門は、表向きは心斎橋・北詰に〔山家(やまが)屋〕という屋号をかかげているもぐさ問屋の主人である。地元・船場の出生である喜平は、なにかにつけて便利な存在。

探索の発端:刺客の沖、杉浦らが惨殺した長谷川組の同心・原田一之助の妻女・きよ、先手の山本伊予守組の木下同心などにより、探索が強められ、船宿〔加賀屋〕の船頭・友五郎が行方不明となるにおよんで、川越辺へ探索の目が向いた。

結末:船頭・友五郎に縁のある本所・松坂町の紙問屋〔越前屋〕の手代・庄太郎が幽閉されていた染井の植半で発見されるや、〔鹿山〕一味の臓物の隠し場所である新河岸川の廃寺にも捕方の手が及んだ。

つぶやき:〔津村〕の喜平の結末は書かれていないが、こんな端役の「通り名(呼び名)」にも、池波さんの配慮がおよんでいるのを知り、驚嘆した。
すなわち、喜平を〔生駒〕の仙右衛門の店---心斎橋に近い船場の西、西横堀生まれとして、地元へ綿密な配慮をしているのである。地元生まれが配下にいるだけで、怪しまれることも少なくなるというものだ。

| | コメント (2)

2005.10.19

〔唐戸(からと)〕の為八

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻3におさめられている[梅安流れ星]で、木挽町3丁目の料亭〔吉野屋〕の亭主・久蔵(47歳)をゆするために、その愛娘お梅(5歳)を誘拐した元盗賊で浪人の林又右衛門(37,8歳)は、お梅を、麻布の広尾に近い江戸における盗人宿へかくまった。
(参照: 〔浅羽〕の久蔵の項)
(参照: 浪人・林又右衛門の項)
3年前から盗人宿を預かっているのが、〔唐戸(からと)〕の為八である。

_3

年齢・容姿:老盗賊とのみで、詳細の記述はない。
生国:大和(やまと)国吉野郡(よしのこうり)唐戸村(現・奈良県吉野郡西吉野村唐戸)。
林又右衛門の働き場所が上方から西国とあるので、京都市南区上鳥羽唐戸町も、山口県下関市唐戸町も該当する。しかし、『旧高旧領』には上記2カ所が載っていない。それで、吉野の唐戸を採った。

事件の発端:品川宿の徒行(かち)新宿3丁目で水茶屋をやっている玉屋七兵衛が仕掛人の彦次郎に、浪人・林又右衛門の仕掛けを一度頼んだあと、取り消したことから、梅安と彦次郎が疑惑をもった。

結末:馬を使った仕掛けで、林又右衛門は殺された。また、仕掛けの依頼の作法に外れた玉屋七兵衛も、同様に2人によって始末された。

つぶやき:端役も端役だが、ちゃんと「通り名(呼び名)」がつけられているからには、生国を探さないわけにはいかない。
しかも、候補地が3カ所もあるのだ。とりわけ、まだ1人も登場していない山口県の県名を目にしたときには、ここに来い! と願った。
しかし今回もまたむなしかった。

| | コメント (0)

2005.10.18

〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[兇賊]で、突然、明和3年(1766)と、時計の歯車が24年逆回転したように、鬼平が21歳のときの事件へ戻るのは、この〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛の息子で兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)が出現したからである。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)
その当時、〔土壇場〕の勘兵衛は、両国の盛り場を牛耳っていた香具師の元締〔大崎(おおさき)〕の弥平の右腕と称して、悪徳のかぎりをつくして、土地の嫌われ者だった。
21歳の平蔵(当時は銕三郎)がついにたまりかね、岸井左馬之助、井関録之助に助っ人をたのみ、柳島・本法寺裏で大喧嘩をやり、鉄条入りの振棒で勘兵衛をなぐり殺した。

205

つぶやき:銕三郎たちが高杉道場から持ち出した振棒は、素振りのためのもので、長さきは5尺(1メートル50センチほど)で、鉄条がうめこまれているので、重さは1貫目(4キロほど)もあろうか。
『剣客商売』の秋山大治郎の道場では、これを1000回素振りできるようになって、はじめて木刀を持たせる。
池波さんは、短篇『明治の剣聖--山田次郎吉』(1964年6月号『歴史読本』)を書くとき、榊原健吉などの資料から振棒の知識をえたとおもえる。


| | コメント (0)

2005.10.17

〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻8に所載の[白と黒]に登場する〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎は、〔門原(もんばら)〕の重兵衛一味にいたが、火盗改メが捕縛にむかったとき、ただ独り逃れえた。というのも、軽業一座で鍛えた身の軽さが難をすくったのである。
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)
本所・小梅の西尾隠岐守下屋敷の仲間部屋で根が好きな博打をやっていると、かつて〔門原〕一味で助(す)けばたらきをしたことのある女盗人のお今(27,8歳)に声をかけられ、押しかけてきた女2人と性の饗宴をたのしんでいた。
(参照: 下女泥お今の項)

208

年齢・容姿:27歳。鼻すじは陥没しているが鼻の頭や小鼻きむっくり張っている。
生国:相模(さがみ)国津久井県小渕村のうち(現・神奈川県津久井郡藤野町関野)
当人の申したてでは甲州・関野だが、『大日本地名辞書』にも『旧高旧領』にも、甲州には「関野」という地名はない。甲州街道の宿駅だったので、池波さんが甲州と記憶してしまったか。
ほかには伊豆国加茂郡(現・静岡県田方郡中伊豆町)と武蔵野国多摩郡(現・東京都小金井市)に「関野」がある。

探索の発端:巣鴨の三沢仙右衛門宅で夕食を終え、富の市とつれだって感応院・子育稲荷の門前で、鬼平は、{門原〕一味の逮捕のときに取り逃がした軽業゜あがりの〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎を見かけた。
亀太郎は富の市のお顧客だったから、亀太郎の家も知れ、見張りがついた。

結末:火盗改メが踏みこんでみると、女2人とかめ太郎の3人ともまっ裸でふざけあっており、そのままの姿で逃げ出したところを鬼平に捕まった。

つぶやき:取調べがすむと、鬼平が佐嶋与力へ「あの、もんどりの亀太郎は、密偵に使えるとおもう。考えておいてくれ」といった。
元盗賊を密偵に仕立てる条件の一つが、一味がすっかり処刑されていて、正体がバレにくいことであろう。その点、〔門原〕一味は1年前に根こそぎ処刑されているから、亀太郎の前身を知っている同業者は数少ないといえる。

〔翻筋斗(もんどり)〕の〔筋斗〕は、歌舞伎用語では(とんぼ)と読む。いわゆる「とんぼがえり」である。歌舞伎に通じていた池波さんのこと、亀太郎に〔翻筋斗(もんどり)〕とつけたのは、彼の特技である(とんぼ)を頭に描いていてのことだったろう。

| | コメント (0)

2005.10.16

〔三沢(みさわ)〕の磯七

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[浮世の顔]に登場する流れづとめの温和な盗賊の〔三沢(みさわ)〕の磯七だが、ひょんな成り行きで、〔神取(じんとり)〕の為右衛門(50男)に雇われていた〔藪塚(やぶづか)〕の権太郎(30男)を刺殺してしまう。
(参照: 〔神取〕の為右衛門の項)
(参照: 〔藪塚〕の権太郎の項)
と、いうのも、権太郎が、気絶している若い村娘(17,8歳)をレイプしようとするのを止めようとして争いになったからである。場所は巣鴨に近い滝野川の雑木林の中だった。

214

年齢・容姿:45,6歳か。小肥り。
生国:甲斐(かい)国八代郡(やつしろこうり)三沢村(現・山梨県西八代郡下部町三沢)。
.〔神取〕の為右衛門一味の千住、品川とある盗人宿の中でも、中仙道ぞい板橋の旅籠〔上州屋〕を割り当てられているところから、上記の「三沢村」と信濃国諏訪郡の「三沢村」と見た。甲斐国出身の為右衛門との地縁からいって下部町の三沢を採った。
多摩郡の三沢(現・日野市)では、一味を抜けて帰ってくれば、噂が立とう。
磐城国刈田郡の三沢だと、千住宿の盗人宿・搗米屋へ泊められたろうし、遠江国周知郡の三沢からだと品川に設けてある古着屋を割り当てられたはずだ。

探索の発端と結末:権太郎の悲鳴に、村人が駆けつけて、2つの死体を発見した。もう1つは権太郎たちが撲殺した敵討ちの旅をしていた佐々木典十郎(27歳)だった。かつての剣友でいまは鳥羽3万石の家中からの鬼平あての手紙を懐中に持っていたので、事件は火盗改メ扱いとなった。
しかし、〔三沢〕の磯七の行方はついにわからなかった。

つぶやき:「男が下帯をはずすときといえば、厠に用があるときと、女を、な」と断じて、岸井左馬之助を感心させる鬼平だが、このあたりも、左馬之助の純なところを暗示している。

| | コメント (0)

2005.10.15

〔千代ヶ崎(ちよがさき)〕の源吉

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、鬼平の前任の堀帯刀組の同心だった高松繁太郎(当時27,8歳)と駆け落ちした女賊お杉(30歳)の父親が〔千代ヶ崎(ちよがさき)〕の源吉である。
(参照: 女賊お杉の項)
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
独りばたらきの盗賊であったが、3ヶ条の掟てを守りきって病死。中目黒の権之助坂をくだり、目黒川を渡った先の松久寺の墓地に眠っている。
〔蛇骨(じゃこつ)]の半九郎一味の非道な畜生ばたらきに愛想がつき、一味の盗人宿を高松同心に洩らすかわりに、身の安全を保証してくれるようにとの交換条件を飲めなかった堀組に、逆に高橋同心が火盗改メに見切りをつけ、佐嶋与力あての置手紙を残して出奔、お杉との暮らしを立てた。
そのお杉が信州・上田で病死するとき、遺骨は父親の傍らに葬ってほしいと懇願、繁太郎は江戸へ帰ってきた。

210

年齢・容姿:生きていれば56,7歳か。容姿の記述はないが、お杉が盤台面だったというから、顔は平べったく大きかったろう。
生国:武蔵野(むさし)国荏原郡(えばらこうり)千代ヶ崎村(現・東京都目黒区三田2丁目)
「千代ヶ崎」という地名は、福岡市八幡西区にもあるが、「目黒は源吉・お杉の故郷---」とあるから、ここで間違いあるまい。
池波さんは、『江戸名所図会』の「千代ヶ崎衣掛松」の魅(ひ)かれて、源吉に〔千代ヶ崎〕を名乗らせたと推察している。
242L
千代ヶ崎衣掛松 i新田義興の室(千代御前)、義興矢口の渡しにての最期のことを聞き、かなしみに耐えず、この池に身を那投ぐるといへり。(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

探索の発端と結末:〔千代ヶ崎〕の源吉については、記載することはない。

つぶやき:『江戸名所図会』には、絵師・長谷川雪旦の筆になる700景近い絵が収録されている。1日に1度はこれを眺めて江戸の町並みや人びとの着ているものや動きを類推していた池波さんは、うち、200景ほどを『鬼平犯科帳』へ借用におよんでいる。
したがつて、『鬼平犯科帳』の世界をより深く共感するには、『江戸名所図会』はかかせない。そして、「あ、この景色は、この絵だ」との発見のたびに、読む喜び・楽しさが倍加する。

| | コメント (0)

2005.10.14

〔鎌屋(かまや)〕富蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。この篇の書き出しは、同心・細川峯太郎が博打の味をおぼえ、香具師の元締の〔鎌屋(かまや)〕富蔵に70両もの借金をつくってしまったところから始まる。
ところがこの峰太郎、どしたはずみにか、浅草・新堀川の河岸地の居酒屋〔豆甚〕にいた女(25,6歳)に抱かれ、もらった5両から運がつきっぱなしで、富蔵への借りは返したうえに50両も手元にある。
そのことはいい。浅草・福井町で人入れ稼業をしている〔鍵屋〕富蔵---である。
表の〔請負宿〕として、浅草から本所へかけての旗本屋敷へ中間などの派遣をしているのだが、裏では浅草・御蔵前から新堀川東岸一帯の盛り場と寺社の門前の見世物や屋台店からテラ銭を集める香具師の元締をやっている。
さらに、諸方の賭場へも顔を利かせてもいて、聖天宮下の民家で昼日中から開かれている賭場で、乾分の〔朝熊(あさくま)〕の宗次を透して細川同心へ博打の元手を貸したのも裏の商売の一つであった。
(参照: 〔朝熊〕の宗次の項)
567
真土山聖天宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

222

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:2代目の富蔵自身は江戸の浅草・復井町の生まれ(現・東京都台東区浅草橋1丁目)
初代は、京都市下京区鎌屋町の出で、江戸へ下ってきて裏稼業でのしあがったのであろう。
よもや、石見(いわみ)国美濃郡(みのこうり)納田(のうだ)郷の鎌屋(現・島根県那賀郡三隅町岡見)ではあるまいな。浜田藩(6万石)の上屋敷は大名小路だし、中・下屋敷とも浅草近辺にはなかったから。

探索の発端:細川同心が、〔豆甚〕で女に抱かれ、小遣いをもらい、早朝に役宅へじかに現れたのに不審をいだいた鬼平が、細川の博打をつきとめ、聖天宮下の賭場に目をつけた。というのは、銕三郎時代の鬼平も、何度か足を運んだことのある賭場だったからである。

結末:〔鎌屋(かまや)〕富蔵は、香具師としては「筋が通っている」元締で、町奉行所にも協力しているということで、火盗改メ方は手をつけない。

つぶやき:細川同心が博打をおぼえたことについて、鬼平は「心得ていても押さえきれぬ。それが、のむ、打つ、買うの三カ条だ」と達観している。

| | コメント (0)

2005.10.13

マドンナ・ふさ

『鬼平犯科帳』文庫巻1におかれている、シリーズ第2話として発表された[本所・桜屋敷]のヒロイン・ふさ。
〔マドンナ〕と、時代小説にふさわしくない冠称を付したのは、青春時代の鬼平(長谷川平蔵。幼名・銕三郎)と岸井左馬之助のあこがれの乙女だったから。
桜屋敷は、本所の横川ぞい、法恩寺の西につらなる出村町に10代つづいた旧家・田坂家のものである。庭に数本の山桜の見事な老樹があったので、近隣の者たちは、そう、呼んでいた。
桜屋敷の南隣が農家を改造し高杉銀平道場で、銕三郎と左馬之助は剣術の鍛錬にはげんでいたのである。
その道場へ、桜屋敷の孫娘の、まるで、むきたての茹(うで)玉子のようなふさ(18歳)が、
「御門人のかたがたに、これをさしあげるよう、祖父(直右衛門。70余歳)から申しつかりました」
と、蕎麦切りと冷酒を下女にもたせてあらわれると、銕三郎も左馬之助も顔へ真赤に血をのぼらせ、胸をときめかしたものだった。
ふさは、2人の若者の気持ちとは関係なく、日本橋・本町の呉服問屋〔近江屋〕へ嫁いだ。
しかし、ふさは〔近江屋〕を出された。夫・清兵衛が病死したからである。そして御家人・服部某の後妻にはいった。

201

年齢・容姿:盗賊〔小川や〕梅吉のふさ評。「そろそろ40の坂へかかろうというのに、見かけによらず、まだ汁気も残っておりましてね」
もっとも、白洲へ座らせられているふさは、岸井左馬之助の眼には、むすめのころは色白でむきたての茹玉子だった顔は痩せ、かつてはむっちりととふくらんでいた唇は嘘のように乾いて見えた。
生国:江戸・本所出村町(現・東京都墨田区大平1丁目)

探索の発端:密偵〔豆岩〕が、津軽越中守の上屋敷裏、南割下水のところで、人相書手配中の盗賊〔小川や〕梅吉を見かけて尾行、御家人・服部某の家へ消えたのを確かめた。そこでは賭場もひらかれており、ふさと情をかわした梅吉は、ふさの以前の婚家先、豪商〔近江屋〕への押し入りをたくらんでいた。
火盗改メを命じられた鬼平の初仕事となった。

結末:服部某宅を急襲した火盗改メに捕えられた〔野槌(のづち)〕の弥平の残党〔小川や〕梅吉は磔刑、ふさは遠島。

つぶやき:この篇は、ふさが変わり果てるにいたった---鬼平の感慨「女という生きものには、過去(むかし)もなく、さらに将来(ゆくすえ)もなく、ただ一つ、現在(いま)のわが身あるのみ---」を示すためでもあるが、読み手に、長谷川家の歴史と鬼平の育ちを説明する役目も背負っていた。
というのは、あわただしくスタートしたシリーズ第1話では、鬼平の登場場面もほんの数行でしかなかったからである。

| | コメント (1)

2005.10.12

〔西尾(にしお)〕の長兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻8の巻頭におかれ、タイトルにもなっている[雨引の文五郎]の元お頭、〔西尾(にしお)〕の長兵衛は、本格派で伊勢国の桑名に本拠をもっていた。
(参考: 〔雨引〕の文五郎の項)
本拠は桑名だが、盗めのテリトリーは甲信二州(山梨県と長野県)から遠江(静岡県)・三河・尾張(愛知県)・美濃(岐阜県)へかけて。もっとも、テリトリーは広くても、配下は20数名で、小じんまりとした盗めをもっぱらとしていた。
〔舟形(ふながた)〕の宗平の表現を借りると「やることは、なかなかに本筋(ほんすじ)でございましたよ」だった。
(参照: 〔舟形〕の宗平の項)
天明8年(1788)に病死した〔西尾〕の長兵衛には、右腕に〔雨引(あまびき)〕の文五郎(当時26歳)、左腕を自認する〔落針(おちはり)〕の彦蔵(当時30歳前後)がいた。
(参考: 〔落針〕の彦蔵の項)
逝った長兵衛は、なぜか後継ぎを指名をしなかったが、彦蔵をのぞく一味の25名の全員が、文五郎に跡目をついでほしいと懇願した。
しかし文五郎は、「おれは雨引の文五郎で、西尾の長兵衛ではねえ」といって、最後までうんといわなかった。
文五郎が長兵衛に尽くしたのは、「長兵衛の盗賊には珍しい温和な人柄に、こころをひかれ」ていたからだそうな。

209

年齢・容姿:どちらも記述されていないが、推察するに、没年は55歳前後、おだやかな風韻だったろう。
生国:三河(みかわ)国幡豆郡(はずこうり)西尾城下(現・愛知県西尾市鶴ヶ崎町)。
『旧高旧領』には、ほかに越前国今立郡(現・福井県武生市)、備中国都宇郡(岡山県倉敷市)の西尾村があるが、本拠地とテリトリーから見て、西尾市を採るべきであろう。

探索の発端と結末:畳の上で大往生をとげているので、どちらも縁がない。

つぶやき:直接のヒーローではなく、〔雨引〕の文五郎と〔落針〕の彦蔵のつなぎ手として描かれているにすぎないが、その人柄には親しみがもてる。
当ブログの300人目の盗賊に選んだのは、まったくの私勝手だが、お許しいただきたい。

ついでながら。西尾市の命名の基になったのは、矢作(やはぎ)川下流の左岸にあるこの町は、吉良山(雲母山・八ッ面山)からみて西に尾をひいたように丘がつづいているからとか、かつて製塩をしていた煮塩が転化したとかいわれている。
ヨーロッパへ行くと、西の端---west end 直訳すると西尾という地名がいくつもある。ロンドンにもストックホルムにもあった。地の果って感じ。

| | コメント (5)

2005.10.11

下女泥(げじょどろ)お今

『鬼平犯科帳』文庫巻8に所載の[白と黒]に描かれている2人の下女泥のうち、歳かさので肌が浅黒いほうがお今が当人。もう1人の若いくて抜けるように色白のほうはお仙(20歳前後)だ。それが篇名のゆえん。
年増のお今のほうは、深川・海辺大工町の薬種屋〔長崎屋〕方から38両余を盗んでドロンした。
お仙が下女として奉公に入ったのは、同じ深川の、佐賀町の菓子舗〔船橋屋〕。10日目に23両を盗んで消えた。
捜査を命じられたのは、〔兎忠〕こと同心・木村忠吾(26歳)である。

208

年齢・容姿:27,8歳。色の浅黒い、小柄で痩せている。彦十にいわせると、こういう体形の女にかぎって色のほうがすさまじいのだと。顔にうすい痘痕(あばた)がういている。
生国:不明。
1年前の2月に捕縛された下諏訪の出の〔門原(もんばら)〕の重兵衛一味で、5年ほど前に引き込みをしていたというから、甲斐国あたりの生まれとも推察できるし、浅黒い肌ということで、関東のどこかともいえないことはないが、とりあえず不明ということに。
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)

探索の発端:駒込から王子と微行巡回をした帰り、鬼平は亡母の実家、巣鴨村の三沢仙右衛門(53,4歳)宅へ立ち寄り、たまたま来ていた富の市に筋肉をもみほぐしてもらった。
夕食を終え、富の市とつれだって感応院・子育稲荷の門前で、鬼平は、{門原〕一味の逮捕のときに取り逃がした軽業゜あがりの〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎を見かけた。
亀太郎は富の市のお顧客だったから、亀太郎の家も知れ、見張りがついた。
見張られている亀太郎の家へ、お今とお仙が入っていった、3人による性の狂乱が行われていた。

結末:火盗改メが踏みこんでみると、お今とお仙はまっ裸のまま捕縛。亀太郎も裸で逃げ出したところを鬼平に捕まった。
亀太郎の自白によると、27歳にもなっているのに、女のお今・お仙から受けた、初めての性のもてなしだったという。
鬼平は、どこを見込んだのか、筆頭与力・佐嶋忠介に、亀太郎を密偵に仕立てるように命じた。

つぶやき:お今が亀太郎にほどこしたのは、女賊がお盗めとお盗めのあい間の、〔男買い〕の一種だったんだろうか。
一仕事がおわると、女賊もその種の気ばらしで発散しないと、張りつめていた神経が休まらないのかもしれない。

| | コメント (0)

2005.10.10

〔井戸(いど)〕の達平

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収録の[討ち入り市兵衛]で、正統派〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(70をすぎている)の片腕で、お頭の意うけてを交渉にあたった〔松戸(まつど)〕の繁蔵(50がらみ)が、浪人あがりで畜生働きが専門の首領〔壁川(かべかわ)〕の源内の盗人宿から帰り、深川の小名木川ぞいの暗がりで、死にいたるほどの深傷(ふかで)を負わされたのは、源内の配下の〔井戸(いど)〕の達平によってだった。
達平は「こういう仕事に慣れている」。しかし、繁蔵も匕首を抜いて反撃し、達平の太股を深く刺した。そのために、繁蔵は〔植半〕の庭まで逃げることができた。
(参照: 〔蓮沼〕の市兵衛の項)
(参照: 〔壁川〕の源内の項)

586_360
小名木川 五本松(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

221
年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:紀伊(きい)国名草郡(なぐさこうり)井戸村(現・和歌山県和歌山市井戸)。
伊勢国安濃郡、丹波国桑田郡なども候補にしたが、〔壁川〕の源内が和歌山県御坊市の出なので、地縁からいって和歌山市を採った。

探索の発端:本所・ニッ目通り、弥勒寺山門前の〔植半〕の庭でのうめき声を聞きつけた、隣家の門前茶店の女主人お熊が、血まみれになって倒れている〔松戸〕の繁蔵を発見し、火盗改メに通報したことから、〔蓮沼〕の市兵衛へ連絡がつき、〔壁川〕の源内一味の探索がはじまった。

結末:〔蓮沼〕の市兵衛の項に記したごとく、鬼平が手助けで一味への敵討ちが果たされた。そのとき、〔井戸〕の達平も捕縛され、処刑されたはずである。

つぶやき:この〔井戸〕の達平という男、〔松戸〕の繁蔵を闇討ちするような、「こういうことに慣れている」とある。
もともと、〔壁川〕の源平一味は、血なまぐさい畜生ばたらきを常にやっている一団である。押し入り先で殺傷するのは浪人あがりの2人と、この達平の役目だったのかもしれない。いくらなんでも、無抵抗の者たたちを殺すのは、通常の神経の持ち主にはできまい。
それに加えて、この達平は、暗殺の場数をふんでいるのであろう。
じつは、〔蓮沼〕の市兵衛一味が〔壁川〕の盗人宿へ討ち入ったときの経過に、〔井戸〕の達平の動向は書かれていない。もしかすると、他所で太股の療養をしていたのかもしれないが、一味全員が処分されたような雰囲気なので、彼も捕縛されたとおもっておきたい。

| | コメント (0)

2005.10.09

〔駒沢(こまざわ)〕の市之助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録[雨乞い庄右衛門]で、大盗〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門(58歳)が疾患のある心臓の保養のために、安倍川の水源の梅ヶ島の温泉に滞在しているのを、〔勘行(かんぎょう)〕の定七(30男)と連れ立って江戸から殺害に出かけた没義道なのが、この〔駒沢(こまざわ)〕の市之助である。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔勘行〕の定七の項)
3年にもおよぶ梅ヶ島の湯の効果があらわれたかして、庄右衛門の心臓の発作と神経痛は小康をえた。そこで燃え上がる〔盗みへの情熱〕をもてあました庄右衛門は、江戸へ下ってかねてからのお盗めを実行する気になった。
梅ヶ島を発って安部川ぞいに東海道へ出、小田原の旅籠〔伊豆屋〕に宿をとった翌朝、市之助と定七にばったり出会ったものである。
平塚の宿で、2人は庄右衛門を襲ったが、同宿していた岸井左馬之助に邪魔をされ、ほうほうのていで逃げ出した。

207

年齢・容姿:屈強な30男。
生国:信濃(しなの)国諏訪郡(すわ)郡駒沢村(現・長野県岡谷市川岸西1丁目)。

探索の発端:剣友・左馬之助が庄右衛門一味に疑惑を感じたのはそのときからである。
六郷の渡しで発作をおこして死んだ庄右衛門のいまわのきわの頼みで、浅草・阿部川町に住む庄右衛門の妾のお照へ金をとどけに行ってみると、一味の若者伊太郎といちゃついていたお照は、庄右衛門の参謀格の眼鏡師・〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛の手で、すでに始末されていた。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
火盗改メの捜査がはじまった。

結末:つぎのお盗めのための隠し金400両を預かっていた深川・小松町に住む半兵衛は、市之助や定七など一味の5人の手で殺されていたが、全員、鬼平に捕まった。一同、死罪であろう。

つぶやき:じつは、『鬼平犯科帳』に描かれている江戸以外の史跡で、最初に訪れて宿泊したのが、〔雨乞い〕庄右衛門が湯治をした梅ヶ島であった。
静岡新聞社が主催するカルチャーセンターに〔鬼平〕クラスをもった最初の講義のあと、旧友のN君が2時間以上も車を走らせて送りとどけてくれた。立教大学出身という宿のご主人の丁重なもてなしも気にいった。
翌朝の小雨にけぶる安倍川源流を、野生猿の一群が沢渡りしているのをみ見て、瞬時にこの温泉場が好きになり、ここで3年間も湯治をした庄右衛門の心中へもおもいがおよんだ。
以後、この小品は、ぼくの心の中で、好きな1篇に育っている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.10.08

〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次・3代目

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさまっている[深川・千鳥橋]で、関西の盗賊界の名門(?)---〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次の3代目として登場。
物語は、大工あがりの〔間取(まど)り)〕の万三が、、手元に残っている5枚の大商店の間取り図を盗賊の首領へ200両で売って、知り合った浅草寺・境内・奥山の茶店〔大黒や〕の茶汲女のお元に介抱されながら、労咳の最後の時期をすごしたい、といっているところから始まる。
(参照: 〔間取〕の万三の項 )
その売りさばき役を買ってでたのが、〔己斐(こひ)〕の文助である。
(参照: 〔己斐の文助の項)
、〔己斐〕の文助深川・加賀町の盗人宿にきていた〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次・3代目にあたってみると、1枚にこころよく70両だしてくれた。さらに、残りを全部買ってもいいという。

205

年齢・容姿:40前。精悍な躰つき。
生国:大坂のどこか。
初代は鈴鹿のどこか(三重県の)の出身であろうが、大坂に本拠を置いた。2代目が3代目をもうけたのも極楽往生したのも大坂である。

探索の経緯:密偵となった〔大滝〕の五郎蔵が現役のお頭だった時分、日本橋南1丁目の呉服問屋〔茶屋〕の間取り図を万三から買ったことがある。そのことを、「お縄にはしない」との約定のもとに鬼平へ話した。
鬼平は、間取り図になっている残りの商店を聞くために、五郎蔵に破牢の形をとらせて万三を探らせた。
かつて〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下にいた〔大和屋〕金兵衛を五郎蔵が見張っていると、果たして、万三があらわれた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
万三を見張っていて、〔鈴鹿〕一味の盗人宿が知れた。

結末:当世ふうに貪欲に育った〔鈴鹿〕の弥平次は、4枚分の間取り図に代金を払う気は毛頭なく、とりあげるつもりで、まず、己斐〕の文助をなぐり殺し、詭計でもって万三を呼びだして奪い取るすんでのところで鬼平が乗りこみ、命をすくった。

つぶやき:盗賊界の名門も、苦労知らずに育った3代目となると品が落ちるのか、あるいは時勢がそうさせるのか。
[浅草・御厩河岸]の〔海老坂(えび゜さか)〕の与兵衛も3代目であったが、鷹揚で、本格派の道を外してはいなかった。
人によるのであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.07

女賊お新

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[尻毛の長右衛門]と、タイトルにもなっている盗人一味の首領の情婦でもあり、引きこみもつとめていた女賊。
(参考: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
耳の穴からまで毛がはみだしているような毛むくじゃらな〔尻毛(しりげ)〕のお頭の情婦になったのは、やはり〔尻毛〕一味の配下だった亭主の市之助が若死にしたからである。幼いおすみを抱えた女賊として生きていくためには、むしろ、それが最善の道だったかもしれない。
〔尻毛〕の長右衛門は、本格派の〔蓑火〕の喜之助の下で修行していたので、筋の通った盗めをした。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 引き込み女おすみの項)

214

年齢・容姿:生きていれば40なかば? 狆(ちん)ころが髪を結(ゆ)っているような顔。その髪は縮れ毛で、鼻も低い。
生国:美濃(みの)国のどこか(現・岐阜県)。
というのは、〔尻毛〕の長右衛門は、流れづとめの者は使わないほど慎重である。配下を選ぶにも、地縁を優先させたろう。もっとも、お新にも亡夫・市之助にも「通り名(呼び名)」が付されていないから生国を特定できないが。

情婦となった経緯:〔尻毛〕の長右衛門(50すぎ)が、お新のむすめのおすみ(19歳)をのち添えにしたいと、〔布目(ぬのめ)〕の半太郎に告白したセリフ。
(参照: 〔布目〕の半太郎の項)
「おすみの母親の、お新というのも、わしの手元で引き込みをしていたが、亭主の市之助も、ずっと、わしのところにいた男で---それが早死にしたものだから、お新はおすみを育てながら、引き込みを---そのうち、わしも女房子を死なせてしまっていたし、なんとなく、その、お新に手をつけてしまってなあ。
それが4,5年はつづいたろうかね。そのうちに、お新が病死してしまい---」
つまり、長右衛門はお新に引き込みをさせたりしながら、4,5年、躰をあわせていたことになるが---。
女賊の引き込みは、住み込みの場合が多いから、そのあいだは、抱けない。お新のほうがなんとか口実をつくって寸時抜けだして抱かれていたのだろう。

結末:〔尻毛〕の長右衛門は、おすみを抱くことなく、捕縛・処刑された。

つぶやき:おすみが自分から処女をあたえた〔布目(ぬのめ)〕の半太郎の感想では、(おすみの躰の中には泥鰌が100匹棲んでいやがる)そうだ。
その躰は母親のお新ゆずりのものだろうから、そのことは〔尻毛〕の長右衛門も妄想していたろう。いや、それだからおすみをのち添えにしたがったのだろう。
女にこだわって身を滅ぼしたのは、師匠の〔蓑火〕の喜之助ゆずりというより、男の性(さが)というしか仕方がない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.10.06

船頭(せんどう)・常吉

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収められている[火つけ船頭]の主人公・常吉は、思案橋たもとの船宿〔加賀や〕の船頭である。それが、〔火つけ船頭〕というタイトルをつけられたのは、おととし所帯をもった女房おときを、同じ長屋住まいをしている浪人・西村虎次郎(30がらみ)に寝取られた鬱憤ばらしに放火をしているからである。
(参照: 浪人盗賊・西村虎次郎の項)
1回目は、夏の初めに日本橋・室町1丁目の乾物問屋〔伊勢屋〕だった。このときは3人焼け死んだ。
つぎは、浅草の御蔵前片町の足袋股引問屋〔尾張屋〕であった。どちらの主人も、〔加賀や〕の客としてきて舟を出させ、船頭の常吉を馬鹿呼ばわりした。
3度目は、南伝馬町の畳表問屋〔近江屋〕をやるつもりだったが、盗賊と鉢合わせ。しかも、その賊の中に、女房おときを寝取った西村虎次郎がいたのである。

216

年齢・容姿:29歳。色白の餅肌で小肥り。丸い顔の中に目も鼻も口もちんまりとおさまっている。
生国:江戸・下谷の金杉(現・東京都台東区下谷2丁目あたり)。

探索の発端:畳表問屋〔近江屋〕の塀に火をつけたとき、押しいろうとしていた〔関本(せきもと)〕の源七一味の中に西村虎次郎の声を聞きつけた常吉が、火盗改メに投げ文をしたためた。虎次郎に監視がつき、辻斬りをしようとしたところを、鬼平が逮捕した。
(参照: 〔関本〕の源七の項)
西村虎次郎を〔関本〕の源七へ口合いした口合人の〔塚原(つかはら)〕の元右衛門にも尾行がつき、何人かの一人ばたらきが捕縛された。
(参照: 〔塚原〕の元右衛門の項)

結末:〔関本〕の源七の一味も西村虎右衛門も死罪。おときは遠島。常吉は定法どおり火刑。
〔塚原〕の元右衛門の処分は書かれていない。

つぶやき:池波さんに、無謀にもじかに質問したことがある。「長谷川平蔵の職責は、火付盗賊改メですから、火付も対象ですよね。でも、『鬼平犯科帳』には、火付の篇が意外に少ないのは、どうしてですか?」
池波さんの答え「ぼくは火事がきらいでね。火事の描写ってむずかしいんだよ」

| | コメント (0)

2005.10.05

〔貝野(かいの)〕の吉松

『鬼平犯科帳』文庫巻17、長編[鬼火]の終末にチラッと語られる本格派の盗賊〔名越(なごし)〕の松右衛門の配下だった〔貝野(かいの)の吉松。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)
かつて松右衛門が面倒を見、いまは駒込のはずれで居酒屋〔権兵衛酒屋〕の主となっている元旗本の永井弥一郎とその連れ添い・お浜を見つけ出し、仲間になれとしつこく誘ったのがこの吉松である。
〔名越〕の松右衛門は、小網町の線香問屋〔熊野屋〕作兵衛方へ押し入ったとき、手代と小僧あわせて4人に重傷をおわせたことを、お盗めの道にはずれたと恥じ入り、一味を解散し、自分は飄然と生まれ故郷の伊勢へ身を隠した。
一方の〔貝野〕の吉松は、「松右衛門お頭のやり方は、時勢に合わねえ」と、凶暴な浪人・滝口金五郎(43歳)をを新しく頭にいただき、非道な盗めを始めていた。

217

年齢・容姿:書かれていないため、不明。
生国:伊勢(いせ)国員弁郡(いなべこうり)西・東貝野村(現・三重県員弁郡北勢(ほくせい)町西・東貝野)。
播磨国神崎郡神東郡貝野村も候補にしたが、〔名越〕の松右衛門の生国が「伊勢のどこか」とあるので、北勢町をとった。

探索の発端:鬼平の暗殺を請け負った浪人の一人が、大身(7000石)・渡辺丹波守の下谷田圃にある下屋敷へ出入りしたことから、医師・吉野道伯の関屋村の寮が盗人宿になっていることがつきとめられ、賊たちが京橋川ぞいの菓子舗〔加賀屋〕に狙いをつけていることもわかった。

結末:菓子舗〔加賀屋〕へ押し入ろうとする寸前、一味の20名とともに、〔貝野〕の吉松も逮捕された。これまでの殺傷ぶりから、死罪であろう。

つぶやき:盗賊浪人・滝口金五郎一味とすれば、〔名越(なごし)〕の松右衛門の一団のことを知っている永井弥一郎とお浜を生かしておくといつ情報が漏れないともかぎらないと憶測して襲撃した長篇の発端に、鬼平がからんでくるとは、おもい寄らなかったろう。
ということは、読み手も想像の外---ではあるが、ミステリーとしては、謎の底はそんなに深くはないのが惜しまれる。

| | コメント (0)

2005.10.04

元同心・高松繁太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]の題名になっている消えた男は、火盗改メ・堀帯刀組から消えた元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)だった。
わずか2年間のあいだに、江戸市中から近郊にかけて押し込み20件、殺傷68名という非道なことをした〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味を内偵していた同心・高松繁太郎は、〔蛇骨〕の下で働いていた女賊お杉(30歳)と接触ができ、30両の支度金でお杉を逃がすことを条件に、〔蛇骨〕一味の盗人宿を聞き出すことにしたのだが、堀組は金を用立てることを拒んだ。
(参照: 〔蛇骨〕の半九郎の項)
火盗改メに愛想づかしをし高松は、佐嶋与力あての置手紙を残して役宅を出奔したが、お杉をともなったために、お杉の男だった〔笹熊(ささくま)〕の勘蔵に恨まれ、つけ狙われることになった。
(参照: 〔笹熊〕の勘蔵の項)

210

年齢・容姿:この篇のときは、35,6歳。色白で、でっぷり肥えた躰つき。
生国:先手弓第1番組(堀帯刀組)の組屋敷で同心の子として出生したろうから、江戸・牛込山伏町(現・東京都新宿区弁天町)。

探索の発端:愛宕権現に詣でた筆頭与力・佐嶋忠介は、参道で町人姿の高松繁太郎とであった。近くの料理屋〔弁多津〕で酒を酌みかわし、語りつくし、再会を約して別れたところ、高松は襲ってきた相手を刺殺した逃走。
密偵たちに被害者の首実検をさせたところ、〔蛇骨〕一味にいて、のち、〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛の口ききて〔野槌(のづち)〕の弥平のところへきた〔笹熊(ささくま)〕の勘蔵だと、〔小房(こぶさ)〕の粂八が証言した。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
粂八は、かつて〔笹熊〕の勘蔵につれてゆかれた品川・妙国寺(品川区南品川 2- 8-23)門前で蝋燭屋をやっている叔父の六兵衛をのぞくと、半月ほど前に元同心・高松が訪ねてきて、中目黒の松久寺持ちの小屋に仮住まいしていることを勘蔵へ伝えてくれ、といいのこしたという。

結末:松久寺のお杉の墓の傍らの一本杉の下の墓へ詣でていた。信州・上田で病死したお杉は、父親の墓の隣へ埋めてほしいと懇願したからである。
そこへ現れた鬼平は、高松がお杉と組んで盗み生活していたことは忘れてやるから、密偵となって助けてくれないか、と頼んだ。高松繁太郎にいなやはない、喜んで受け入れた。
密偵として、高松はみごとな働きをしたが、蝋燭屋六兵衛が雇った仕掛人に惨殺された。

つぶやき:蝋燭屋六兵衛は、お杉のことを、「大年増で、小肥りで、盤台面(ばんだいづら)で、金をもらっても抱きたくない」という。
〔笹熊(ささくま)〕の勘蔵は、「こんな躰をしている女が、いようたぁ思わなかった」と、寝取られてことを根にもって、8年間も高松繁太郎をつけ狙った。お杉がきらったのは、〔蛇骨〕一味の血も涙もない非道な仕事に疑いをもたない勘蔵に愛想づかしをしていたのだが。
高杉繁太郎のお杉観は、「何事にも、いさぎよい女であった」「男らしい男のように、いさぎよい---」女だから、何年間もいっしょに暮らせたのである。
いさぎよい、とは、立てる---ときめたことは立てとおし、そのことについては弁解や後悔をしないということでもあろう。

| | コメント (2)

2005.10.03

座頭(ざとう)・彦の市

『鬼平犯科帳』文庫巻1の---ということは、シリーズが始まったごくごく初期の---[老盗の夢]で、お頭の〔蛇(くちなわ)〕の平十郎(40がらみ)から、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助お頭(67歳)の帰り盗めを助(す)けてさしあげるようにいわれ、〔蓑火〕の指示で、新宿・麹屋横丁に家を借り、かねて身につけていた按摩の術で、四谷御門外の蝋燭問屋〔三徳屋〕へ出入りしていた。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
しかし、〔蓑火〕が臨時に雇った3人と相討ちのかたちで果てたので、[座頭と猿]では〔蛇〕のお頭の命令で、〔三徳屋〕の当主の姉(60歳)が嫁いでいる、愛宕下に屋敷がある表御番医・牧野正庵方へ引きあわせてもらい、治療にかよっている。
その縁で、愛宕権現下の茶店で茶汲みをしていたおその(20歳)を見出し、20両の支度金で同棲をはじめていたが、なにせ、おそのは卯年の女なので、あのときの狂いようがこたえられない、彦の市は昼間でもいどみかかる。
068
愛宕下の茶店(『江戸名所図会』部分 塗り絵師:西尾 忠久)

201

年齢・容姿:50男。茄子の実のような鼻、うすい唇。目あきだが見えないふうを装っている。
生国:目あきなのに按摩の修行をしたというから、そういう掟てやぶりができるのは江戸か上方だろうが、いちおう、不明としておく。

探索の発端:彦の市の執拗で狂的な性愛に怖れを感じたおそのは、病父の暮らす長屋に1年前から住みついた小間物の行商をしている徳太郎(25歳)とできた。
おそののあさぐろいが凝脂に照りかえった乳房から脇へ徳太郎がつけた紫色の斑点に、彦の市の嫉妬の炎は燃えた。
一方、おそのの病父が亡くなった夕べ、徳太郎はいっそ、徳の市を刺殺してしまおうと麹屋横丁へ行ったが、逆に、外から帰宅してきた彦の市に殺されてしまう。彦の市はいそぎ逐電。
おそのも調べられたが、彦の市の正体も徳太郎が大盗〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門の手の者だとはしらないから釈放され、ふただび愛宕下へ勤めに出たが、火盗改メの目は、彼女にそそがれていた。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項 )

結末:話は文庫巻2に収録の[蛇の眼]へ飛ぶ。
おそのの女躰が忘れられない彦の市が、愛宕下の茶店へあらわれたところを、同心・酒井祐助に捉えられた。
彦の市の自白により、火盗改メは、相模の山中の水之尾の盗人宿へ急行した。

つぶやき:一つ短篇に登場した人物が鎖の輪の役目をして、次の物語につなげていく---『鬼平犯科帳』の構想を、当初、池波さんは短篇を連鎖させていくつもりでとりかかったとおもう。彦の市もそうした人物の一人である。
1年か2年で終えるはずだったシリーズが、さらに、さらに、と延長されるにつれ、輪の役を鬼平や木村忠吾、それにおまさなどが果たすようになった。その変化ぶりを検証するのも、このシリーズをより深く読む目のつけどころの一つでもある。

| | コメント (0)

2005.10.02

男装剣客・津山薫

『鬼平犯科帳』文庫巻12に掲載されている[白蝮]の男装のヒロイン---津山薫、じつの名はお初。小野派一刀流の名手を父親にもち、みずからも剣をよくした。
生前の松尾喜兵衛の道場で同心・沢田小平次と同門だったが、沢田は3本に1本もとれなかった。

212

年齢・容姿:27,8歳。すっきりとした躰つき。総髪。
生国:美作(みまさか)国西西条郡(にしさいじょうこうり)津山城下(現・岡山県津山市)。
姓は森だが、仮名に津山を名乗っており、父親が中国筋の某藩の家中だったということからの類推で、津山藩の出と見た。

探索の発端:鬼平の息・辰蔵が贔屓にしている、谷中・いろは茶屋〔近江屋〕の妓お照を女だてらに買う男装の剣客・津山薫の帰路を、待ち伏せてからんでみたが、歯がたたなかったばかりか、白扇を額になげつけられ、辰蔵の目がくらんでいるあいだに、まんまと逃げられた。
白扇は、押し入った盗賊に大金とともにもちさられた鍛冶橋門外の小間物店〔丁子屋〕のものと、鬼平は読んだ。
津山薫が逃げたとおもわれる小石川一帯に捜索の網ガ張られ、同心・沢田小平次が、指ヶ谷1丁目、心福院裏手の印判師の家へ入っていった津山薫をつきとめた。

結末:印判師の家へ向ったのは、鬼平の指揮のもとに捕り方22名。その囲みを破って逃げる薫は、白い寝衣の前ははだけ、こんもりした乳房もあらわだった。
沢田同心が「お初どの」と声をかけ、決闘となった。
一瞬、沢田の剣のほうが早く、肩から乳房へかけて斬られ、倒れた薫の白衣がみるみる血に染まった。

つぶやき:男装剣客は、池波さんお好みのヒロインの一つでもある。直木賞をうけた昭和35年(1970)の『別冊文藝春秋』に発表した[妙音記]の佐々木留伊も、男装して夜な夜な侍を川へ投げ込み、自分より強い男でないと結婚しないなどと強がるヒロインの物語。その出来ぶりに満足、とエッセイに記しているし、この篇よりも先に書かれた『剣客商売』でも、男装の剣士・佐々木三冬にかなり肩入れしている。

心福院は、池波さんがこのときにたまたま開いた近江屋板の誤植で、正しくしは「正福院」。
このことは、http://homepage1.nifty.com/shimizumon/board/index34.htmlの7月15日の掲示板に図示しているので、ここでは重複をさける。

| | コメント (0)

2005.10.01

〔上蚊野(かみがの)〕の乙五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録の、寛政3年(1791)初夏の事件である[蛇の眼]に、「去年(注・寛政2年)の暮れから今年の春にかけ、凶賊・上蚊野(かみがの)の乙五郎をはじめ、かなり大きな組織をもつ盗賊団が三つほど、平蔵の手によって捕縛されたし、小さな泥棒の逮捕に至っては数えきれたものではない」とある。

202

年齢・容姿:どちらも、記述されていない。
生国:近江(おうみ)国愛知郡(えちこうり)上蚊野(かみかの)村(現・滋賀県愛知郡秦荘(はたしょう)町上蚊野(かみかの))
池波さんは(かみがの)と濁ってルビをふっているが、地元では(かみかの)と濁らないようである。ほかに「蚊野(かの)」「蚊野外(かのと)」という地名も同地区にある。

探索の発端:記述がない。冒頭の文章だけである。

結末:こちらも記述がないが、わざわざ「凶賊」とふってあるから、死罪はまちがいないところ。
「兇賊」と「凶賊」を、池波さんばどう区別していたのかも不明。

つぶやき:『鬼平犯科帳』全24巻には、捜査の経緯や結末が書かれていない逮捕事件が、〔上蚊野〕一味のほかにも、

文庫 篇名      事件
[1-4 浅草・御厩河岸] 〔真泥〕の伊之助を堀帯刀が逮捕。
(参照: 〔真泥〕の伊之助の項)
[1-7 座頭と猿]     〔五十海〕の権平を逮捕。
(参照: 〔五十海〕の権平の項)
[2-4 妖盗葵小僧]   〔赤観音〕の久兵衛を高崎へ出張って逮捕。
(参照: 〔赤観音〕の久兵衛の項)
[4-5 あばたの新助]  〔神崎〕の弥兵衛一味を越ヶ谷へ出張って。
(参照: 〔神崎〕の弥兵衛の項)
[8-2 あきれた奴]    〔日影〕の長右衛門一味の逮捕。
(参照: 日影の長右衛門の項)
[8-5 白と黒]      高輪台で">〔門原〕の重兵衛一味を逮捕。
(参照:〔門原〕の重兵衛の項)
[10-3 追跡]       岡部へ急行、坂田一味11名を捕縛。
[10-6消えた男]     高松元同心の働きで5組の盗賊を逮捕。
[12-1いろおとこ]    〔舟見〕の長兵衛一味、
(参照: 〔舟見〕の長兵衛一味)
              〔鹿熊〕の音蔵一味の逮捕。
(参照: 〔鹿熊〕の音蔵の項)
[13-2 殺しの波紋]   〔高窓〕の久兵衛の後釜の浪人逮捕。
(参照: 〔高窓〕の久兵衛の項)
 〃          3年前、〔下津川〕の万蔵一味6名を逮捕。
(参照: 〔下津川〕の万蔵の項)
[14-4 浮世の顔] 〔神取〕の為右衛門に何度か臍を噛だ。
(参照: 〔神取〕の為右衛門の項)。
[14-5 五月闇]      〔四ッ屋〕の島五郎を逮捕。
(参照: 〔四ッ屋〕の島五郎の項 )
[16-6 霜夜]       〔須の浦〕の徳松一味を池田又四郎が襲う。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項 )
[18-4 一寸の虫]     〔不動〕の勘右衛門一味の逮捕。
[20-1 おしま金三郎]  牛尾一味の逮捕。
(参照: 〔牛尾〕の又平の項)
[21-4 討ち入り市兵衛]〔蓮沼〕の市兵衛。
(参照: 〔蓮沼〕の市兵衛の項)
[21-5 春の淡雪]    〔雪崩〕の清松の密告により3件の事件が解決。
[24-1 女密偵女賊]   浪人:大野甚五郎を逮捕。

などがあり、自分で勝手に、探索の発端や見張りの手配、結末などが空想できる。

| | コメント (0)

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »