〔備前屋〕の後継ぎ・藤太郎(3)
「そういうわけでな、藤太郎(とうたろう 17歳)の初体験にふさわしい女性(iにょしょう)を求めておる」
亀久町の奈々(なな 18歳)の家で、芙佐(ふさ 25歳=当時)とのことも淡い口調で語り終えた平蔵(へいぞう 40歳)は困惑していた。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
いざとなってみると、おのれがいきあったお芙沙のような後家が周囲にいなくなっていることに気づかされたのであった。
年齢(とし)を重ねすぎた。
しかもなお、少女から大人に熟れかけている奈々のような女性と、年齢を超えて親しんでいる。
相談をかけてみたい〔三文(さんもん)茶亭〕のお粂は45歳だし、浅草・今戸の〔銀波楼〕の女将におさまっている小浪(こなみ)にいたっては46歳だ。
【参照】20101012~[〔三文(さんもん)茶亭〕のお粂(くめ)] (1) (2) (3)
2008年10月23日~[『うさぎ人(にん)〕・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2010813~[〔銀波楼〕の女将・小浪] (1) (2) (3)
奈々に相談をもちかけたのは、〔季四〕の客で、奈々を芝居小屋へ誘う薬種問屋の後家・お筆(ふで)が頭にあったからだ
「お筆はどうであろう?」
「あかん、あかん。44歳の婆ちゃんで、閨で藤太郎はんが逃げまどわはる」
「は、はははは。閨で、男が逃げまどうか---、は、は」
そういえば、銕三郎(てつさぶろう 20歳=当時)は、茶店〔笹や〕の女主人・お熊(くま 43歳)に裸でせまられて逃げるのに苦労したことがあった。
【参照】2008423[〔笹や〕のお熊] (その4)
「それに、お筆はんは、芝居もんまみれや。初めての藤太郎はんが穢れます」
奈々は、しっかりしていた。
【参照】2011年7月15日~[奈々という乙女] (7) (8)
「うちの店のむすめたちは男しらずやしィ。嫁はんにいくんならええけど、一度きりいうとこが、難儀や」
奈々が片方立てにしていた膝を折った。
腰丈の閨衣の前がひらいた。
そろそろ隣りの間へ移lりたいという合図であった。
翌日からの2日間は、家斉(いえなり 13歳)の具足・偑刀の儀式の祝事で、西丸の各組には交替で休みが与えられていた。
平蔵は、浅草・今戸の〔銀波楼〕の女将・小浪を訪ね、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 65歳)の持ちものである寺島村の寓家はどうなっておるか訊いた。
「うちが預かってます」
「7日ほど借りられようか?」
「長谷川さまなら大事おへん、そやけどまさか、新しいお相手はんと---?」
「ちがう、ちがう。越後の与板で世話になった大店の嫡男とおなごの密会に使わせたい」
長谷川さまは、奥方はんとのご祝言のあと、あそこで7夜をおすごしどした」
小浪が含み笑いをもらし、仇な視線で瞶(みつめ) た。
小浪がいうとおり、24歳だった平蔵は久栄(ひさえ 18歳=当時)と新婚の甘い7夜を、その寓屋でみっちりすごした。
【参照】2009年2月13日~[寺嶋村の寓家] (4) (1) (2) (3)
「通いの婆ぁやもずっとやとってますよって、外気もあんじょう入れかえられとるはずどす」
酒や米味噌、調理道具など万端をととのえておくように、金をもたせて遣いをだしてもらった。
書見の間に与詩(よし 28歳)を呼んだ。
与詩は6歳のときに養女にきた。
銕三郎が駿河国・府中(現・静岡市)まで迎えにいった。
【参照】2007年12月27日~[与詩を迎えに] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27) (28) (29) (30) (31) (32) (33) (34) (35) (36) (37) (38) (39) (40) (41) (番外)
長谷川のむすめとして嫁入りしたのに、あっという間に不縁となって帰ってき、そのまま、妙(たえ 60歳の話相手をしている。
「おことが黙っているものだから、つい、いい気になり、お母上の世話をまかしきっており、すまないとおもっていた」
「兄上。ここがわたくしのわが家です」
「そういってくれるとうれしい。ところで、兄としておことに頼むだが、5日ばかり、ある若者の世話をしてもらいたい」
「兄上、ずいぶん遠慮なさったお言葉のようですが---」
平蔵は、考えていた以上に、説得がむつかしい依頼であることとおもいしった。
藤太郎と、旅亭〔おおはま〕の湯殿で股間のものを相互ににぎりあって男と男の約定を確認したというくだりでは、与詩は身をよじって笑ったが、ふと真顔になり、
「わたくしが駿府からの道中に、阿記さんという方が、鎌倉の縁切り寺へお入りになるまでずっと兄上と閨でごいっしょでした。わたくし、幼いなりに嫉妬していました」
「阿記どのはあのとき、三島宿の本陣〔樋口〕の女将・お芙沙(ふさ 29歳)どのに嫉妬していたのだ」
「なぜですか?」
25歳で若後家になったばかりのお芙沙によってえた、すばらしい初体験の経緯(ゆくたて)を打ちあけた。
「このことは久栄(ひさえ 33歳)、父上にも話していない。父上も手くばりなさっただけで、男の子の秘事といって訊きもなされなかった」
【参照】2007年8月3日[銕三郎、脱皮]
「よう、打ち明けてくださいました。兄上と秘密を共持てること、与詩はうれしゅうにおもいます。よろこんで秘事にはげみます」
「やってくれるか。胸のつかえがおりた」
「兄上のときのお芙沙さまほどに若くもなく、男を離れてから年が経っておりますが、そのこと、おんな冥利といわれているものをいただける機会をお与えくださり、このとおり---」
頬を染めて頭をげた。
平蔵が小指をさしだし、
「秘密は墓場まで--」
うなずいて小指をからめた。
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