〔般若(はんにゃ)〕の捨吉(2)
御厩(おうまや)河岸の舟着きのところで逮捕された〔衣板(きぬた)〕の宇兵衛(うへえ 45歳)一味は、元締の宇兵衛はとぜんとして、小頭(こがしら)・〔思案(しあん)〕の為平(いへい 32歳)、二番小頭・〔菊名(きくな)〕の六郎(ろくろう)などの主だったところがごっそりであった。
残った幹部は、〔般若(はんにゃ)〕の捨吉(すてきち 24歳)だけで、ほかは20歳(はたち)にもならない、威勢だけはいいが思慮がもう一つといえる連中であった。
宇兵衛には、男の子がいなかった。
それで、女房のお久(ひさ 40歳)は、かねてから捨吉に目をつけており、むすめ・お染(そめ 18歳)と娶わせようしとしていたのを、この際、実をむすばせた。
捨吉は、
「元締が八丈島からお帰りになるまで、お預かりします」
殊勝なことを誓い、名も、猪兵衛(ゐへえ)と改めた。
いろはにほへと ちりぬるお---うゐのおんくやま けふこえて---
「宇 う」のつぎの「猪 ゐ」なんだと。
小頭・為平の「為 ゐ」は、さすがにはばかった。
お久は、〔般若〕の猪兵衛---強そうでいいねえ、とまんざらでもなさそうな笑顔であった。
「土地(ところ)をお預かりするについて、2つ、筋をとおさせてくだせえ」
猪兵衛は、さっそくに条件をだした。
一つは、披露の仮親は、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 40歳)元締に仮親を頼みたいこと。
二つ目は、同郷で髪結いをしているお品(しな 23歳)を、女将(かみ)さんもお染も妾としてきちんと認めること。ただしお品には子をつくらせない。
二つ目には、お染が不服を言ったが、無理に引きさいて首でもくくられたら世間体がわるいと、宇兵衛の妾でさんざ悋気をやいたお久が、本妻のふところの広さのみせどころと、納得させた。
もちろん、いまとは夫婦の感触が大きくちがっていた当時だからとおったことである。
〔音羽〕の重右衛門は、
「もともといえば、〔衣板〕が慾にからんで、〔木賊〕の縄張り(しま)に手をだそうとして失敗(しくじ)ったことゆえ、新二代目が〔銀波楼〕の今助(いますけ 24歳)に遺恨をもたず、義兄弟のちぎりをむすぶなら、よろこんでひきうけさせてもらいますぜ」
であった。
義兄弟というのは、じつは、今助から重右衛門に引きあわされた銕三郎(てつさぶろう 26歳)が言い出した案であった。
「宇兵衛は、桟がおとしてある戸を蹴破って押しこみました。いわゆる、重罪にあたる錠やぶりをしたのです。ほかにも博打場もひらいています。遠島はお慈悲です。父が押しこみはしたが、金にもおんなにもまだ手をつけていなかったと、温情を伺いました」
打ちとけて話す銕三郎に、重右衛門はいたく好感をもったようであった。
2人の友情は、このときに結ばれ、のちのちのおまさの誘拐の解決に、京の祇園の元締・〔左阿弥(さあみ〕の円造(えんぞう)三代目の力添えをうけられることになるが、それは、20数年も先のことである。
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