〔七ッ石(ななついし)〕の豊次(6)
翌朝。
刻み葱の白粥に卵をおとし、梅干と名産の干瓢の煮つけで遅めの朝餉(あさげ)をとっていると 松造(まつぞう 26歳)が、十手持ちの瀬兵衛(せべえ 34,5歳)がきたことを告げた。
「そちの部屋で待っていてもらえ」
口をゆすぎ、呼びいれた。
4年前、今市へ旅していた老僕の太作(たさく 70歳近く)が、宇都宮の通りで盗賊・〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 60歳近い)を見かけ、動静を土地(ところ)の十手持ち・瀬兵衛にたのんだ。
【参照】2010年2月14日~[日光への旅] (3) (4)
2010年3月2日[竹節(ちくせつ)人参] (5)
宇都宮へきたついでに、その後のことを訊こうと思ったのだが、昨夜は旅籠の亭主や〔越畑(こえはた)の常八(つねはち 25歳)などもいたので、話題にするのをひかえ。
が、それとなく人品を評価してはいた。
松造は、郷方(さとかた)によくいる悪の十手持ちだと断じていたが、昨夜の酒席では、そうも見えなかった。
「昨夜、話にでた、虚無僧寺・松岩寺の納所と親しかったというお紺(こん 38歳)だが、その後の探索では---?」
「ほんの2ヶ月ほど前から伝馬町裏の呑み屋で酌取りとして働いてい、たちまち、納所とでき、3日にあげず寺へ泊まりにいっていたらしいのですが、事件の翌(あく)る日から、呑も屋へも姿をみせなくなったと---」
「なるほど、それで手がかりなしか。ふむ。それはそれとして---」
平蔵(へいぞう 32歳)は、〔荒神〕の助太郎のことを、こう、訊いた。
「太作爺やが探索を頼んだ、消えた男が住まっておった、戸祭の家に、そのあとにはいったのは、どういう筋の者かな?」
「------」
瀬兵衛は、返答につまった。
「あれから、ほとんど4ヶ年経った。そのてあいだに、その家へ住んだ者どもの人別のあるなし、人別のある者はその仔細、住まっていた歳月、引越した者の先がわかればその所を調べ、江戸のわが屋敷へ送ってくれないか。その探索料と飛脚代。いそがなくてもいい」
押しやった紙包みの中は、小判1枚と表からわかった。
瀬兵衛は、ただでさえ大きな目を、さらに大きくして驚き、恐縮した。
「気がつきませんでした、ご勘弁ください」
「いいってこと。だが、あてにしいおるぞ」
【余談】このときから15,6年後、江戸から火盗改メ・長谷川平蔵の噂が宇都宮までとどくと、呑み屋で酔った瀬兵衛は、相手かまわず、
「おれはな、10年も前に、鬼の平蔵さまの探索のお手伝いを、この城下でやったただ一人の十手持ちだぜ。1両とお誉めのお言葉をいただいたによ。もっとも、その1両はいまはないがな」
昼すぎに宇都宮を発(た)った平蔵主従と〔越畑〕の常八の一行は、あたりの道筋に通じている〔鯉沼(こいぬま)〕の杉平(すぎへい 20歳)の先導で、もっとも近道をしながら安塚村をすぎ、壬生藩領の国谷(くにや)村の辻へ達した。
(青○=宇都宮、緑○=七ッ石、赤○=壬生 明治20年参謀本部製)
杉平が道なりに午(うま 南)を指し、
「まっすぐに行ってくだせえ。1里(4km)とちょっとでお城でやす。あっし---手前は、道を酉(とり 西)へ、七ッ石村へ行きやすから」
城下の下通町の門構えの本陣〔蓬莱屋〕庄兵衛方には、江戸からの同心・高井半蔵(はんぞう 38歳)と壬生藩の町奉行所の同心・角田左善(さぜん 42歳)が待っていた。
常平は、すぐ先のふつうの旅籠〔楡木(にれぎ)屋〕に宿をとった。
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