おまさのお産(3)
使いの者を佐倉藩上屋敷へ出そうとしたところへ、西丸・若年寄の井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 36歳 与板藩主 2万石)から呼び出しがかかった。
ご用部屋の控えの間へ伺候すると、井伊若年寄が顔をほころばせてあらわれ、
「申し忘れたというか、同朋(どうぼう 茶坊主)の口伝えでははばかられることでな」
なにごとかと改まると、
「いや、些細なことじゃ。耳を貸せ」
佐倉侯(堀田相模守正順 まさあり 38歳)は、8男10女の第11子だから、そのような子福家の家臣にありがちな複雑な派閥があることをこころえおくように、との助言がささやかれた。
「承りました。こころして処し、決してご迷惑が及ぶようなことはいたしませぬ」
「予のところは、第一子の予一人きりであったから騒動はおきなんだが---」
また、声をひくめ、佐倉侯は上に異腹の男子が4人もいたようだから、妾腹同士の勢力争いも尋常ではなかったと伝わっておる、と笑った。
さて、指定された時刻・七ッ半(午後5時)に藩邸で案内を乞うと年寄格(重役)の佐治茂右衛門(もえもん 45歳)が待っており、
「殿もお目どおりをくだされる」
下城してくつろいでいたらしい佐倉侯が、珍奇な動物でも見るような目つきで平蔵(へいぞう 37歳)をながめ、
甲高い声で、
「与板侯より盗賊追捕の名手と聞きおる。佐治の申し状を解決してやってくれ」
「あ。佐倉侯に申しあげます。お願いごとであがったので、手前がご城下へ出向くわけではございませぬ」
「さようか。ま、あとはろしゅうに、な」
興味が消えたらしく、表情もかえずに座を立った。
平伏から頭をあげた佐治年寄格が、
「頼みごととは?」
家の者が、酒々井(しゅすい 現・しすい)生まれといっていたかつての手習い子がややを産んだと聞き、祝いものを届けてやりたいといっているが、その生家がわからない。貴藩の郡(こおり)奉行どのから村長(むらおさ)たちへ通じておいていただきたいと、意図を告げた。
「あいわかった。手くばりいたそう。ついては、当方の相談も受けられよ」
この一年ほどのあいだに6件おきた奇妙な盗難について、犯人の見込みをつけてもらいたい。
奇妙なとは、家人が気づかないうちに手文庫とか違い棚の金銭がけむりのように消えている事件であると。
「町奉行所が聞きとった被害の経緯の写しは、このとおり---}
薄い帳面を押しつけられた。
「読ませてはいただきますが、このこと、西丸の若年寄・与板侯を通して拙のお(番)頭・水谷(みずのや)伊勢(守勝久 かつひさ 52歳 3500石)さまへお申しこしおきくだされますよう---」
今後のこまごましい連絡(つなぎ)役として、用人付きの志田数弥(かずや 30歳)が引きあわされた。
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